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2018年に念願のRYT200修了しました♪職場でヨガ部活動中♡日々自分の体を使って、いろんな動きやポーズを練習中です
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http://resource-info.appspot.com/view/

生活情報等いろいろあります。

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http://ganjoho.jp/public/news/2011/kyoten_taisei.html

http://www.jastro.or.jp/news/detail.php?eid=00190

http://jsmo.umin.jp/oshirase/20110315.html

もしもがん治療を受けていらっしゃる方が偶然ご覧になっていたらと思い書きます。
上記に情報があります。
もちろん、主治医にご相談下さい。
必ず力になってくれます。
一番は、患者さんです。
遠慮せずにご自身のお体を一番に考えてくださいね。

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http://www.pref.miyagi.jp/syoubun/bussi.htm
お店の情報。ありがたい。

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早速医療チーム避難所巡り開始となり、同僚が行ってきました。
石巻地方は本当に壮絶だったそうです。
でも、避難している人たちのお話を聞き、血圧を図り、診察をし、
励ますというお仕事をすると、人々はとっても安心されて、
感謝してくれたそうです。
「医師の原点」に帰った気がする。と同僚は話していました。

だんだん治安が悪くなってきているそうで、女性はやめた方がいいということで、
私は病棟のお留守番で、他院からの患者さん引き受けや、
自分たちの診療科の患者さんの家具合の悪くなった方の対応ですが、
自分の持ち場を精一杯頑張りたいと思います。

今日は外来の予約患者さんたちに手分けをして電話をかけました。
患者さんの無事を確認して安心するとともに、患者さんから
「安心しました」と感謝の言葉をいただいて、しみじみと自分の仕事の意義を
かみしめています。

しかしこの雪で、暖房の入らない院内は患者さんたち皆厚着して
お布団を沢山かぶっています。私たちも、白衣の上にコートを着ています。
少し頭が痛くって、風邪かな~。気をつけないと。少し休憩して、
温かいお茶を飲んで、また頑張りますよ。
DSCF3889400.jpg
追い打ちをかけるような雪です。

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 かいけは疲れたらしく、今日はもう少し寝るというので、
一人で残して出勤しました。

今日は外来当番。吐血した患者さんが来院され、緊急内視鏡の後
入院になりました。外来が特別編成なので、慣れないため、物事が簡単には
進みません。幸い、上司が力強くバックアップしてくれ、何とか無事に患者さんを
収容しました。

他院からの転院の方は、移動手段の問題で来院できず(救急車が足りない)、
明日の転院に変更です。今日は震災後初めて患者さんに温かい食事が出ました。
おかゆと味噌汁だけだったけど、おいしかったと患者さん喜んでいました。
乾パンと缶詰生活お疲れ様でした。

さて、院内の方はだいぶ落ち着きました。それに反して、前線の沿岸付近の病院は
野戦病院と化し、大変な有様とのことです。現場スタッフの疲弊も相当なようです。
患者さんも長期の避難所生活のため、精神的にも参ってきているようです。
今日からまた寒くなり、風邪やインフルエンザも心配です。
そこで、院内の医師から応援チームを組んで沿岸の病院や避難所に向かうことになりました。
夜に医局員全員が集まり緊急会議となりました。
上司がとても気を使ってくれて、女性陣は留守番部隊となりました。
男性たちの中で、助っ人を募ったところ、なんと、みんな快く手を挙げてくれました。
すごい。医局のドクターたちの心意気にじーんと感動し、うれしくなりました。
早速明日から前線へ応援部隊が出発します。

ニュースでは、原子力発電所がとんでもないことになっていて、
100kmと離れていない仙台でも緊張が高まっています。
子供だけでも避難させた方がいいのかな・・・
でも、駅が壊れて電車も走っていないし、ガソリンもないし、、、
原発、対応が後手後手だと思う。炉内温度の上昇を検出したら、
注意深く見守るのではなくて、すぐに対応しなくてはだめでしょ。
東電の社長は現場に詰めて指示を出しているのか???

たくさん実家にお電話いただいたと連絡があった。
でも、まだメールにもお返事できていない。掲示板にも。
電話して話をする気力も残っていません。
もう寝ます。また明日も朝から頑張ります。おやすみなさい。
この震災で命を落とされた方たちのご冥福をお祈りいたします。
そして、避難所生活を続けておられる方が体調を崩されませんように。
行方不明のご家族と無事に連絡がつきますように。
一日も早い支援の到着(まだまだ必要なところに全く届いていません)と、
日常生活の復活を待ち望んでいます。

今日も大きな余震が続いています。
ライフラインの回復が遅れています。
天候がまた冬型になっています。
生鮮食品が手に入りません。
学校は休校したままです。
移動手段が入手困難です。
原子力発電所からの放射線が不安をあおります。




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震災後初めてのウィークデーです。
休まず働いているスタッフを休ませるため、この日の日中は私が当番でした。
他のスタッフの院内PHSも預かり、自分のPHSと2台が鳴ります。
外来は休診にしたのですが、患者さんには電話をしてもつながらないため、
律儀にも来院してしまった方の診察を行います。

具合が悪くて来院した患者さんの対応にも追われます。やはり緊急入院もありました。
もっとひどく被災した病院からの患者さん受け入れ要請があり、
帰れる患者さんには何とか帰宅してもらうようお願いしました。
しかし、自宅を失った患者さんや家族と連絡がつかない患者さんがおられ、
なかなか胸が痛みます。
幸い他のスタッフが協力してくれて、何とか無事に夜の当番に病棟を渡すことができました。 

自宅では、かいけがKさんたちと一緒に買い物に行ってきてくれました。
近所の八百屋さんがあいていて、1時間待ちで野菜が買えたそうです。
両手に野菜の袋を持って「ただいまー」と帰ってきた姿にはなんだか頼もしくって、
大きくなったものだと感心しました。
かいけの買ってきてくれた野菜で夕飯を作りました。メニューは肉なしカレー。
電気のお鍋が大活躍です。見た目は変な感じだけど、無事にできました。
久しぶりの野菜。しかもかいけが買ってきてくれたので、ひときわおいしく感じました。

ガスはしばらく復旧の見込みがないため、この日は知恵を絞って、バケツ入浴!
って、バケツに電気ケトルのお湯とお水を入れて、それで顔と髪を洗っただけですが、
少し高い温度にすると、結構いい感じです。さっぱりしました。
お風呂に入りたいけど、それはガスが通った後のお楽しみです。
ガスの復旧はだいたい1ヶ月後くらいだそうです。


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 疲れ切ってぐっすり眠っていたようです。朝日で目が覚めました。
慣れない避難生活の硬い床で腰が痛くなりましたが、眠ることができたので
だいぶ気力が戻ってきました。

朝ご飯に昨日購入したリンゴをかじりました。そういえば、ウサギたちは
地震以来ちょっとおびえていました。特にモプシーは食欲が落ちているようでした。
リンゴの皮をウサギたちに与えたところ、元気に食べてくれてほっとしました。
 
またまたかいけをKさんにお願いして病院へ。
在宅酸素療法の酸素の電源が止まった患者さん、透析後自宅まで戻れなくなった患者さんなどを
外来で受け入れ始め、病棟だけでなく外来にもたくさん患者さんが泊まっています。
スタッフも自分たちも被災しているのに、一生懸命対応しています。
病棟では化学療法は中止し、患者さんにできるだけ退院していただくようにお願いを始めました。
 
夜には電気が戻り明かりのありがたさをしみじみ感じました。
やっとストーブもつけることができ、暖かさがとってもうれしかったです。
ご飯も炊くことができるようになり、それだけでやっと助かったと感じました。
電気ケトルでお湯を沸かしてお水に足してぬるいお湯を作り、久しぶりに顔や髪を洗いました。
ガラスの破片を掃除機で吸い、床も安全になりました。ほっとしました。
本棚の本を戻し、割れなかった食器を片付け、家具を元の位置に戻しました。
やっと足の踏み場ができました。
DSCF3884400.jpg
片づけていなかったお雛様の雪洞がぽっきり。
お内裏様のお手手も骨折してしまいました。。。
 
余震はまだ続いていましたが、久しぶりに自分のお布団で休みました。
無事だったことの幸せをかみしめると同時に、初めて見たテレビの画像に
驚き、唖然としてしまいました。まさか、こんなことになっているなんて・・・
やっと電話が少し通じるようになり、メールが届き始めました。
皆さんご心配いただきありがとうございました。そして温かいメッセージを
本当にありがとう!励まされました~。お返事遅れてごめんなさい。
 

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余震がずっと続き眠れない夜を過ごした後、いつものように 朝が来てほっとしました。
かいけパパは日直+当直で早々に出かけました。
私も病院に行かなくてはなりません。しかし、さすがに一人で置いていく気にはなりません。
かいけを同級生のK君のママにお願いして、病院に出かけました。

病院の状態もかなり大変です。
もちろんエレベーターは動かず、病棟へは自分の足で上がるしかありません。
止まっていた水は夜が明けて何とか復旧し、電気も戻りました。
しかし、ガスは復旧の見込みが立たず。
輸送路も絶たれたため、薬の在庫がありません。
輸血ももちろん入手できるか全くわかりません。
検査の機械も破壊されてしまい、検査ができません。
コンピューターが動きませんので、オーだリングシステムが全く稼働しません。
ガスが働かないので、滅菌装置が動かず、手術はできません。
患者さんの食事は乾パンと備蓄水です。
ちなみに職員には食事はありません。

一部の患者さんは、パニック発作のような状態になったようですが、
それでもほとんどの患者さんたちが、「仕方ないね」と理解を示してくれて、
落ち着いていてくれたのが救いです。

皆で相談して、当番制にすることとし、私はこの日は途中で帰らせてもらいました。
何しろ、かいけに食事を食べさせることが一番大事なことです。

ご飯代わりにお菓子を食べるのもかなり辛いです。
K君ママたちと一緒にみんなで買い出しに行くことにしました。コンビニは閉まっていました。
大手のスーパーには唖然とするくらい長蛇の列です。子供と並ぶ気は起こりません。
偶然小さな八百屋さんに行列しているのを見つけて、お店が開いているようでしたので、
行列に並びました。もうバナナやリンゴは無かったのですが、どうにか
野菜ジュースを買うことができました。そのあと、個人経営のマーケットに1時間以上並び、
やっと真っ暗な店内に入りました。バナナなどはもう売り切れてしまっていましたが、
ラッキーなことにリンゴとチーズ、クッキーなどを買うことができました。
冷蔵庫が使えない、電気が使えないと、食べることのできる物は結構限られてしまいます。
なんと言ってもお店を開けてくれた職員の方に感謝です。

おうちに帰ると非常用水栓が使えるようになっていて、お水を汲みに行くことが
できるようになりました。トイレも流せます。お水のありがたみを感じます。
そして、お水が非常に早く復活してくれたので、本当に助かりました。
地震に関しては、ラジオで聴くテレビの音声しか情報が無く被害の情報が今ひとつわかりません。
どうやら大変な津波があったらしいことはわかりましたが、今ひとつ想像ができません。
携帯は圏外でしたが、公衆電話から実家に電話がつながりました。

日没を迎えラジオを聴きながら、ろうそくの明かりを見ているうちに
かいけは眠ってしまいました。ラジオではなんだか物騒な話をしていて、不安が募ります。
余震と原子力発電所の爆発の放送が暗闇の中で心配をかき立てます。







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 金曜は、高速道路を使って市中病院にお手伝いに行く日です。
その日は早く終わって、いつもよりも早く帰路につきました。
医局に着いたすぐ後に地震が起こりました。
幸い他の方たちもいたので、皆で建物の出口を確保し、廊下に出ました。

いやな大きな揺れが終わって、ほっとしたすぐ後にまた大きな揺れが来ました。
いったいいつまで続くのだろうといういやーな、長い長い時間でした。
強い揺れに立っていられなくて、座り込んでしまった人もいました。
途中で東北電力の明かりが消え、さらにバックアップのはずの自家発電が消え、明かりはすべて消えました。
あまりにも今まで経験した地震と全く違うので、明らかに普通の地震ではありませんでした。
地震の途中に、
「これって、あれ(予言されていた宮城県沖地震)かな?」
と職場の方と顔を見合わせ、手を握りあって地震の終わるのを待ちました。

長い大きないやな揺れがやっと収まり、余震が続く中、皆で病棟に走りました。
非常扉がすべて締まり、非常灯だけがついている異様な雰囲気です。
エレベーターはもちろん止まっています。
(これは落ち着いてから撮った写真です)
a30821b1.jpeg
病棟のある15階まで駆け上がります。病院の15階分は半端ではありません。
息を切らせて上がり、病棟の担当医に合流しました。

病棟では本棚や麻薬金庫、患者さんのベッドまで動いています。
病棟担当医は重症患者さんの部屋で点滴スタンドを押さえたり、
患者さんを励ましたりして頑張ってくれていて、患者さんは落ち着いていました。
念のためもう一度患者さんのお部屋に確認に回り、無事を確認しました。
慌ててベッドから落ちて、頭などをぶつけた患者さんがいらっしゃいましたが、
大きな怪我をした方もいらっしゃらなかったし、全員の所在が確認されました。
(この後、夜になって、外来受診していた患者さんを外来棟から病棟まで
運び上げた先生方には、本当に頭が下がります。)

その後さらにもう一度皆で回診をして入院患者さんを励ましました。
この後、病棟に残った先生方は、本当にお疲れ様でした。
ご自身のご家族のことが心配だったことと思いますが、そのまま病院に留まり、
いろいろと対処をして下さりました。

さて、私は患者さんの安全が確認できたので、中学校に電話をしました。
しかし、案の定つながりません。当番の先生にお話しして、先に上がらせてもらい
中学校へ向かいました。しかし、学校にはすでに誰もおらず、集団下校したそうです。

家に戻りました。いつもお世話になっているKさんにばったりと会い、
「かいけちゃんも帰ってるよ。」と教えてもらいほっとしました。
ところが、部屋に行くと(もちろんエレベーターは止まっており、8階まで階段)
荷物はあるが、かいけはいない!!!
部屋の様子はもうどうしようもなくて、一瞬であきらめがつきました。
DSCF3878400.jpg
ドアがちゃんと開かない状態で、部屋の中は割れたガラスが散乱し、
落下した物で足の踏み場もありませんでした。
DSCF3874400.jpg
DSCF3876400.jpg
慌ててエントランスに降りると管理人さんがいて、避難所に向かったらしいと教えてもらいました。
避難所に向かいました。

避難所の体育館は明かりもなく、たくさんの人が毛布をかぶって足の踏み場もない状態です。
仕方なく、避難所の中をくまなく探し始めましたが、かいけは見つかりません。
途中で日が暮れて、だんだん顔も見えなくなり、絶望的な気持ちになりました。
仕事を優先させたから、かいけとはぐれてしまった・・・
同じマンションの方を見つけ、もしかいけを見つけたらそこに留まるよう伝えてもらうことにして、
もう一度おうちに戻りました。近所の方に事情を説明し、
かいけの行きそうなところを一緒に考えてもらいました。

最終的には、なんと、ちゃっかりかいけお隣ですっかりお世話になっていました。
ほっとしました~
おうちは惨状でしたが、怪我もなく無事に再会できて本当に良かったです。
そしてお部屋から避難し、ライフラインの全く途絶えた最初の夜を何とか過ごし、
朝日を見たときには、本当にほっとしました。


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かいけママ
性別:
女性
自己紹介:
「かいけのお部屋」管理人のかいけママです。

いつの間にやらかいけは大学生。
全く手がかからなくなり、趣味に邁進中。

ヨガと体作りにすっかりはまりました~
日々マイペースに楽しんでいます♪
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