コロナ禍以降、登山にはまりました。山大好きです♡
2018年に念願のRYT200修了しました♪
金曜は、高速道路を使って市中病院にお手伝いに行く日です。
その日は早く終わって、いつもよりも早く帰路につきました。
医局に着いたすぐ後に地震が起こりました。
幸い他の方たちもいたので、皆で建物の出口を確保し、廊下に出ました。
いやな大きな揺れが終わって、ほっとしたすぐ後にまた大きな揺れが来ました。
いったいいつまで続くのだろうといういやーな、長い長い時間でした。
強い揺れに立っていられなくて、座り込んでしまった人もいました。
途中で東北電力の明かりが消え、さらにバックアップのはずの自家発電が消え、明かりはすべて消えました。
あまりにも今まで経験した地震と全く違うので、明らかに普通の地震ではありませんでした。
地震の途中に、
「これって、あれ(予言されていた宮城県沖地震)かな?」
と職場の方と顔を見合わせ、手を握りあって地震の終わるのを待ちました。
長い大きないやな揺れがやっと収まり、余震が続く中、皆で病棟に走りました。
非常扉がすべて締まり、非常灯だけがついている異様な雰囲気です。
エレベーターはもちろん止まっています。
(これは落ち着いてから撮った写真です)

病棟のある15階まで駆け上がります。病院の15階分は半端ではありません。
息を切らせて上がり、病棟の担当医に合流しました。
病棟では本棚や麻薬金庫、患者さんのベッドまで動いています。
病棟担当医は重症患者さんの部屋で点滴スタンドを押さえたり、
患者さんを励ましたりして頑張ってくれていて、患者さんは落ち着いていました。
念のためもう一度患者さんのお部屋に確認に回り、無事を確認しました。
慌ててベッドから落ちて、頭などをぶつけた患者さんがいらっしゃいましたが、
大きな怪我をした方もいらっしゃらなかったし、全員の所在が確認されました。
(この後、夜になって、外来受診していた患者さんを外来棟から病棟まで
運び上げた先生方には、本当に頭が下がります。)
その後さらにもう一度皆で回診をして入院患者さんを励ましました。
この後、病棟に残った先生方は、本当にお疲れ様でした。
ご自身のご家族のことが心配だったことと思いますが、そのまま病院に留まり、
いろいろと対処をして下さりました。
さて、私は患者さんの安全が確認できたので、中学校に電話をしました。
しかし、案の定つながりません。当番の先生にお話しして、先に上がらせてもらい
中学校へ向かいました。しかし、学校にはすでに誰もおらず、集団下校したそうです。
家に戻りました。いつもお世話になっているKさんにばったりと会い、
「かいけちゃんも帰ってるよ。」と教えてもらいほっとしました。
ところが、部屋に行くと(もちろんエレベーターは止まっており、8階まで階段)
荷物はあるが、かいけはいない!!!
部屋の様子はもうどうしようもなくて、一瞬であきらめがつきました。

ドアがちゃんと開かない状態で、部屋の中は割れたガラスが散乱し、
落下した物で足の踏み場もありませんでした。


慌ててエントランスに降りると管理人さんがいて、避難所に向かったらしいと教えてもらいました。
避難所に向かいました。
避難所の体育館は明かりもなく、たくさんの人が毛布をかぶって足の踏み場もない状態です。
仕方なく、避難所の中をくまなく探し始めましたが、かいけは見つかりません。
途中で日が暮れて、だんだん顔も見えなくなり、絶望的な気持ちになりました。
仕事を優先させたから、かいけとはぐれてしまった・・・
同じマンションの方を見つけ、もしかいけを見つけたらそこに留まるよう伝えてもらうことにして、
もう一度おうちに戻りました。近所の方に事情を説明し、
かいけの行きそうなところを一緒に考えてもらいました。
最終的には、なんと、ちゃっかりかいけお隣ですっかりお世話になっていました。
ほっとしました~
おうちは惨状でしたが、怪我もなく無事に再会できて本当に良かったです。
そしてお部屋から避難し、ライフラインの全く途絶えた最初の夜を何とか過ごし、
朝日を見たときには、本当にほっとしました。
その日は早く終わって、いつもよりも早く帰路につきました。
医局に着いたすぐ後に地震が起こりました。
幸い他の方たちもいたので、皆で建物の出口を確保し、廊下に出ました。
いやな大きな揺れが終わって、ほっとしたすぐ後にまた大きな揺れが来ました。
いったいいつまで続くのだろうといういやーな、長い長い時間でした。
強い揺れに立っていられなくて、座り込んでしまった人もいました。
途中で東北電力の明かりが消え、さらにバックアップのはずの自家発電が消え、明かりはすべて消えました。
あまりにも今まで経験した地震と全く違うので、明らかに普通の地震ではありませんでした。
地震の途中に、
「これって、あれ(予言されていた宮城県沖地震)かな?」
と職場の方と顔を見合わせ、手を握りあって地震の終わるのを待ちました。
長い大きないやな揺れがやっと収まり、余震が続く中、皆で病棟に走りました。
非常扉がすべて締まり、非常灯だけがついている異様な雰囲気です。
エレベーターはもちろん止まっています。
(これは落ち着いてから撮った写真です)
病棟のある15階まで駆け上がります。病院の15階分は半端ではありません。
息を切らせて上がり、病棟の担当医に合流しました。
病棟では本棚や麻薬金庫、患者さんのベッドまで動いています。
病棟担当医は重症患者さんの部屋で点滴スタンドを押さえたり、
患者さんを励ましたりして頑張ってくれていて、患者さんは落ち着いていました。
念のためもう一度患者さんのお部屋に確認に回り、無事を確認しました。
慌ててベッドから落ちて、頭などをぶつけた患者さんがいらっしゃいましたが、
大きな怪我をした方もいらっしゃらなかったし、全員の所在が確認されました。
(この後、夜になって、外来受診していた患者さんを外来棟から病棟まで
運び上げた先生方には、本当に頭が下がります。)
その後さらにもう一度皆で回診をして入院患者さんを励ましました。
この後、病棟に残った先生方は、本当にお疲れ様でした。
ご自身のご家族のことが心配だったことと思いますが、そのまま病院に留まり、
いろいろと対処をして下さりました。
さて、私は患者さんの安全が確認できたので、中学校に電話をしました。
しかし、案の定つながりません。当番の先生にお話しして、先に上がらせてもらい
中学校へ向かいました。しかし、学校にはすでに誰もおらず、集団下校したそうです。
家に戻りました。いつもお世話になっているKさんにばったりと会い、
「かいけちゃんも帰ってるよ。」と教えてもらいほっとしました。
ところが、部屋に行くと(もちろんエレベーターは止まっており、8階まで階段)
荷物はあるが、かいけはいない!!!
部屋の様子はもうどうしようもなくて、一瞬であきらめがつきました。
ドアがちゃんと開かない状態で、部屋の中は割れたガラスが散乱し、
落下した物で足の踏み場もありませんでした。
慌ててエントランスに降りると管理人さんがいて、避難所に向かったらしいと教えてもらいました。
避難所に向かいました。
避難所の体育館は明かりもなく、たくさんの人が毛布をかぶって足の踏み場もない状態です。
仕方なく、避難所の中をくまなく探し始めましたが、かいけは見つかりません。
途中で日が暮れて、だんだん顔も見えなくなり、絶望的な気持ちになりました。
仕事を優先させたから、かいけとはぐれてしまった・・・
同じマンションの方を見つけ、もしかいけを見つけたらそこに留まるよう伝えてもらうことにして、
もう一度おうちに戻りました。近所の方に事情を説明し、
かいけの行きそうなところを一緒に考えてもらいました。
最終的には、なんと、ちゃっかりかいけお隣ですっかりお世話になっていました。
ほっとしました~
おうちは惨状でしたが、怪我もなく無事に再会できて本当に良かったです。
そしてお部屋から避難し、ライフラインの全く途絶えた最初の夜を何とか過ごし、
朝日を見たときには、本当にほっとしました。
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かいけママ
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女性
自己紹介:
「かいけのお部屋」管理人のかいけママです。
いつの間にやらかいけは大学生。
全く手がかからなくなり、趣味に邁進中。
ヨガと体作りにすっかりはまりました~
日々マイペースに楽しんでいます♪
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