なんと言ってもこれは忘れられません。J君事件&大岡裁き。
ママのつぶやき2004年・番外編に詳しく書いていますが、これは我が家にとって、
何より辛い出来事でした。子供達の悪意無いちょっかい・いたずらをこじらせてしまったのは、
なんと言っても、観察・理解・経験が足りなかった担任の先生でした。
担任の先生しだいで、子供の学校生活は天と地ほども違います。
ほんの少し、子供の立場に思いを馳せて想像してくれていれば、
「外国から来た英語の分からない小さな女の子」をこんなには苦しめることはなかったと思います。
しかし!親としては変な話ですが、かいけの強さに惚れ惚れしました。
自分が突然外国に連れて行かれて、英語が全くわからなくって、何だか知らないけど、
複数の男の子にいじめられて、担任に叱られてお仕置きされ続けていたら
登校拒否します。間違いなく学校いやになります。
それをやられっぱなしではなく、やり返していたというのですから天晴れです。
そしてこの事件で知ったのが校長先生の能力です。きちんと下調べをし、
事実関係を確認した上で本人達を白洲に並べて大岡裁き。お見事です。
また、この事件の時はお姉さん格のMちゃんが通訳として大活躍!
Mちゃん本当にお世話になりました。
おまけ;かいけの今年の担任は育休中の本来の担任の代わりの新卒の先生。
しかし、このD先生、素晴らしい!チアガールの指導をしているだけあって体育会系。
車のナンバープレートは「TEACH 4 U」と言うくらいで情熱がある。
去年の先生もとってもいい先生でした。かいけ、2年生3年生は学校生活楽しんでます。
良かったね、かいけ。
現地校では、緊急連絡先として3人の人を指定しなければなりません。
まあ、いわゆる保証人みたいなもんです。
で、最初は日本人の方にお願いしていたのですが、皆さん転出されたり帰国されたりで
どうやっても3人目を確保できずに困っておりました。
かいけパパと一緒に悩むことしばし、かいけのお友達のお母さんに電話することに。
しかし、お留守で連絡付かず。次の日までに書類を提出しなければならずまたまた困った。
そこで思いついたのは御近所さん。お向かいさんのところに行って事情を説明し、
保証人になってくれるようにお願いしました。すると、何と、快く引き受けてくれたではありませんか!
面倒なことを頼んだのに、とっても親切に快諾してくれて本当にありがたかったです。
見ず知らずの外国人が近所に引っ越してきて、保証人を頼みにくる。
自分だったら、快くサインできるかなぁと考えてみたのでありました。
この御近所さんの懐の深さには、本当に感激しました。
以前住んでいたアパートには、暖炉がありました。
これはとってもありがたかったのですが、問題なのは、火の後始末が不十分な住人がいて、
まだ火の気のある灰をダストシュートに投げ込んでボヤを出すこと数回。
オーブンを焦がして火災報知器を鳴らす住人もあり、とにかくしょっちゅう
アパート中に火災報知器が鳴り響き、非常誘導灯がちっかんちっかん。
住民は避難するように勧告され、消防車がやって来て大騒ぎ。
一年の間にこんなことが何度も何度もありました。
だんだん慣れてきて、避難する人数を見ながら避難するかどうか判断していました。
ある夜の火災騒ぎの際、かいけパパも居らず、非難する人数が増え、
心配になって、着の身着のままパスポートとお財布だけ持ってかいけと避難しました。
幸いこれも大事には至らず、やがて非難解除となり、部屋へ戻りました。
その後、一軒一軒消防員の訪問を受け、火元の確認となりなかなか眠りに戻ることが出来ませんでした。
かいけパパも居らず、夜中の出来事で、
「もうこのアパートは怖いからいやだぁっ!!!」と強く思いました。
消防員も大変な仕事だなぁとしみじみ。
誤報かもしれないと思っても、夜中でも、駆けつけなくちゃいけません。
ついでに印象に残っているのは、非難した住人の中に「ピザ」のパジャマを着ていた人がいたことです。
よっぽどピザがお好きなんでしょうね。
アメリカに来て最初の年の8月。夏休み直前にサルモネラ症でERに入院しました。
詳しい経過はホームページのVacations→ERにずらずらと書いてますが、
まあ、もうちょっとで危なかったです。血圧60/-ってのは自己新記録でした。
アメリカで食中毒で命を落としたら、死んでも死に切れなかったです。
この時は、とっても苦しい思いをしました。
そして同時に、アメリカで治療にたどり着くまでいかに道のりが長いか、身にしみて知りました。
また、アメリカの医療がいかに「ちゃらんぽらん」かと言うことにはたいそう驚かされました。
そして最後に、人の生命力ってすごいなぁと感心仕切り。
いい勉強になった忘れられない体験でした。
これはこちらに来てから知り合った敬愛するTさんのお言葉。
Tさんは3人のお子さんの子育ての傍ら、御自身も地域のバドミントンのサークルで楽しみ、
病院のボランティアで活躍されていた。今後は別の国に移る予定だけれども
そちらの国では看護師としての経験を生かし、お仕事に復帰される予定だという。
「子供は考えるためにしっかりとした母国語が必要。母国語がしっかりしていれば英語は伸びる。」
「最初の一年は、子供は英語を貯金している。話さなくても心配せずに待てばいい。」
御自身の経験と、勉強されたことに基づいた力強い言葉だった。
まだアメリカに来たばかりで、子供の教育に不安でいっぱいの私に指針を与えてくれた言葉だ。
最初の一年、かいけが英語を話し始めるまではこの言葉を自分に言い聞かせた。
この言葉がなかったら、もっとあせっていただろうし、日本語教育がおろそかになり、
かいけはどっちつかず、言いたいことが表現できない子になっていたかもしれない。
そのほかにも、このTさんとTさんご家族には本当に助けていただいた。
このTさんの助力がなければ、かいけ一家一ヶ月で帰国していたかもしれない。
これからまだまだ世界を舞台に御活躍を続けるTさん御一家にエールを送りたい。
こちらは敬愛する先輩Oさんのお言葉。
Oさんは大学院の時に指導していただいた先生で、妻としても先輩。
彼女もだんなさんの留学のためにアメリカに滞在した経験の持ち主。
「一年は我慢。一年したらうそのように楽になるから。」
一年目は本当に辛いことが多かった。子供が学校でいじめられ続け、辛い体験をしたこと、
仕事先で誰も助けてくれる人がおらず、誰に助けを求めていいかも分からず
孤軍奮闘していたこと。家庭でも口論が絶えなかったこと。アメリカの食材になじめず、
ストレスとも合わせてすっかりやせてしまったこと(今は取り戻した)。
マイナス20度の冬で涙がちょちょぎれたこと。アパートから立ち退きを迫られたこと。
それまで通っていたアフタースクールからも出て行かなくてはならなかったこと。
会話のペースに付いて行けず、自分の言いたいことの一割も英語で表現できなかったこと。
などなど、思い出すと枚挙に暇がない。
でも、先述のOさんの言葉を思い出し、繰り返し繰り返し何度も自分に言い聞かせた。
一年目はこのOさんの言葉を呪文のように唱えることで、何とか乗り切ったという感じだ。
一年過ぎた後、本当にそれまでとは気持ちががらりと変わった。
おまじないの効果なのか、単に慣れただけなのかは分からないが、Oさんの言葉には救われたと思う。
その病院からその後ずっとお世話になった、敬愛する先輩M先生の言葉を折にふれて思い出す。
M先生は医師としての先輩であり、働く母としての先輩でもある。
「だんなさんの留学について行って、仕事して成功した女医さんって見たことないのよね~。」
実際、夫の留学に同行して働いている女性医師は全体の何割だろうか?
それまでの人生必死に勉強して、医師としての仕事で、懸命に走り続けてきた女性たち。
留学期間は人生の休養・充電期間と考えることも出来よう。
実際にそうやって留学期間を楽しんでいる人もいる。それはそれで一つの選択だし、生き方だと思う。
しかし、私にはそれが出来なかった。自分らしくあるためには歩き続けようと決めた。
夫の留学が決まったときには「何が何でも」という思いで仕事を探した。
先方からの受け入れの連絡が来た時には感謝の思いでいっぱいだった。
人にはいくつかの生き方があると思うけれど、私はきっと自分の足で歩かないといられない人なんだと思う。
何かを勉強し、吸収し、考え、行動し、表現し、そんなことをしていないと
自分で自分を押しつぶしてしまう人なんだと思う。そういう人なんだからしょうがない。
こちらに来てある方に「日本と同じライフスタイルを続けることを選んだんだ。」と言われたことがある。
異国で日本と同じライフスタイルを続けるには、日本での何倍もの努力・気力が必要だ。
「日本と同じ」ではなく、「自分らしくあるための」ライフスタイルを選んだんだと今は分かる。
くじけそうになったことが何度もある。でも、そんな時先述のM先生の言葉を思い出した。
彼女がその言葉を言った真意はわからない。自分の周囲の真実を言ったまでかもしれない。
しかし、私は勝手に「愛の鞭」だと解釈することにした。そして、きっと何かをつかんでやるぞ、と、
その言葉を思い出すたびにそう思う。
留学が終わってから日本に帰国して離婚してしまった御夫婦の話を何件か耳にした。
留学最初の頃は、非常にストレスが多く、カルチャーショックを感じるし、ホームシックにかかりやすい。
その時期を乗り越えて、生活を楽しめるようになるには、夫婦、家族の対話と結束が必要だ。
たいへんな時期を上手に乗り越えられず、心の中に
「こんなはずでは。」「日本にいたらあんなことやこんなことが出来たのに。」
などなどの思いを育ててしまうと、やがて離婚という選択肢が浮かんでくるかもしれない。
妻が医師の場合、「自分のキャリアを中断してまで、夫のために付いて来たのに。」という
思いを育ててしまうこともあるだろう。私には、それは一番考えたくないし言いたくないことだったと思う。
夫の単身赴任と言う選択肢だってあるのに、何故一緒に来たか。
「自分の」選択だったからだ。そう思いたい。その為には、「夫」の留学を「自分」の留学にしてしまえばいい。
「夫」のチャンスだけど、「自分」にもチャンスだと思えばいい。そう考えた。
そうやって何とかもうすぐ帰国というところまで漕ぎ着けた。(これから何があるかは分からないけど。)
これも一部にはM先生の言葉が私を励まし続けてくれたからだと思う。さて、残りの期間
仕事を何としても形にしたい。短い期間だけど、悔いの無いよう、やれるだけのことはやり遂げたい。
といってもかいけパパががんばってて、かいけママは大船に乗った気持ち。
進行状況のほどを・・・
一番頭のいたかかった「車」と「家具」から取り掛かることに。で、かいけパパ妙案を思いつく。
かいけパパが最初にしたことは、大家さんとの交渉。
次に住む人を見つけたい大家さんと、ムービングセールを出来るだけ最小限にしたいかいけ一家。
双方の利益になる方法として、かいけ一家、次に住む人を探すお手伝いをすることに。
幸いタイミングよく日本から渡米される御家族が見つかり、ただいま交渉中!
大物の移動がいかにたいへんか前回の引越しで身にしみているので、
大物家具の引越しは最小限で済むとなるとたいへんありがたい。
車も公証人のサインがあれば同時に登録に出頭しなくても大丈夫らしく、
車の方も交渉が開始できる!よかったよかった。
次にピアノのムービングセール。これは格安のお値段だったので、あっという間に売約済み!
ちょっと手違いがあったりしたが、無事に買い取ってくださる方が見つかった。よかったよかった。
日本での職探し。これは教授にお任せ。幸いいろいろな条件を考慮していただき、
ブランクから回復する良い職場に紹介していただけそう。かいけパパはまたまた雑用地獄の職場?
そして、日本で働くためのアフタースクール、育児サービスの手配。これは現地でないと
難しい。課題は残っている。でも、ある程度めぼしが付いたのでちょっとほっとしたところ。
帰国便の手配。さまざまな解約・手配。引越し業者の手配。
この辺はぜ~んぶかいけパパにお任せ。ああらくちん。
荷造り。これはさすがにお任せには出来ず仕方なく思い腰をあげる。
折角のかいけの英語、少しでも保つために、英語の本を買いあさっているところ。
明らかに本の荷物が2/3以上を占めている。この割合は尋常じゃない。
重くてダンボールの半分から2/3位しか詰め込むことが出来ない。仕方がないので
持って帰りたくなかったかいけの大量のぬいぐるみたちが気持ちいいほど次々と納まってゆく。
もう箱に入れられるぬいぐるみがいない。どうしよう???
かいけはお気に入りの毛布を入れようと、虎視眈々と狙っている。
後はこまごまとした必要手続きを一つ一つこなしていかなくては。
帰国時には休暇をとって反対(ヨーロッパ)周りで帰国と言う案があった。
しかし!先立つものが・・・と言うことで却下。しかも、日程を考えるとゆっくりもしていられない。
仕方がないので、どこかアメリカ国内で一箇所だけ寄ってから帰国となりそう。
この帰国便のことでもなかなか決まらない。
みんなそれぞれの主張がある。とほほほほ・・・
仕事の方も片付けなければならないし、帰国してからもやることが沢山。
あ~、早く温泉でのんびりしたいです。
かいけパパが書いていますが、帰国準備をぼちぼち始めないといけません。
まずかいけの小学校。これは色々考えた結果、地元の小学校にしようと思います。
インターナショナルスクールは、日本の法律上義務教育を受けたことにならないらしくて、
将来の選択肢を考えるとやはり義務教育は受けといた方がいいという結論に達しました。
しかも、自宅から目と鼻の先で通いやすい。これが一番。
次にかいけママのお仕事。アメリカで結構がんばって働いて来て、
ちょっと疲れがあるというのが正直なところ。でも、折角ここまでやって来て、
人生休憩するのはちょっと早いかな。まだ中途半端にしか終わっていない気がする。
ということで、やっぱり仕事を続けることになりそうです。いま求職中。
働くとなるとかいけのアフタースクール。これは数が限られているから早く手を打たないと。
と言うことで早速問い合わせしたところ、色よいお返事を頂き、とりあえず
かいけの居場所は確保することが出来そう。
折角かいけががんばってきたピアノ。続けられれば続けたいものです。
しかし!かいけは全て英語で習っていましたので、
「ドレミファソラシド」といわれても脳みそとは結びつきません。
今まで習ってきたことを、もう一度最初から日本語でやり直さなければなりません。
すでに頭の中で「CDEFGAB」と結びついているものを「ドレミファソラシド」に
翻訳し、習得するのは別の外国語を習得するのと同じくらいたいへんだと想像します。
一応ヤ○ハさんに問い合わせてみましたが、
「そんな子は教えられない、個人の先生を探してください。」という
お返事をいただいてしまいました。
がっかりしてばかりはいられない。探すことしばらく。
素晴らしいピアノ教室を発見!何と留学経験のある先生がいらっしゃり、
英語で対応してくださると言うのです。仙台で、そんな高等な先生がいらっしゃるなんて。
さすが100万都市。やたら感心しつつ、こちらも帰国したら話を進めることとして
とりあえず予約をさせてもらいました。それにしても素晴らしい!
後は駅前留学を探さないと。特にかいけは折角身につけた英語、
何とか保持する方法を考えたいものです。
それにしても、今はこうしてインターネットで情報が手に入りやすくなり、
たいへんありがたいものです。かいけパパの方を見るとアメリカの手続きは
任せて安心???かな???アメリカの手続きも沢山あるので、これから
色々と忙しくなりそうです。
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いつの間にやらかいけは大学生。
全く手がかからなくなり、趣味に邁進中。
ヨガと体作りにすっかりはまりました~
日々マイペースに楽しんでいます♪